ただの初心者アニメオタクが未経験の同人即売会に食塩を持っていくことになったという話
どうも、イワナギです。
鍵島3当日にもかかわらず、寝ることができていません。
それは昨日会ったデレマスの7thライブが激熱で興奮冷めやらないこともあるでしょうし、名古屋(の快活クラブで休憩しているのですが)までの道中にウトウトしていたのもあるのでしょうが、やはり今日のイベント参加に際して緊張しているところが大きいのかなと感じています。
僕にとって、同人誌即売会での販売は初めての経験になります。
しかも初めてにもかかわらず、ベタな選択肢である漫画や小説ではなく「塩」
緊張しないわけないじゃないかと変に納得しています。
僕が初めて和歌山県美浜町を訪れたのは一昨年の8月、高校生の時に聖地巡礼しに行きました。その時の夏の日差し、海辺の堤防、潮の香りが漂う街並みに一目ぼれしました。しかも、そこには「アメリカ村」と呼ばれる村があって、高校生の時にその「アメリカ村」の本を読んだことがあることが後からわかって、自分自身と美浜町に何かの縁を感じました。そして、国崎往人にあこがれて、都会育ちだった自分が経験していない環境を知りたくて、美浜町に一年後舞い戻ってきました。
美浜町の「アメリカ村」での毎日はとてものんびりしていて、人が少ないのになぜか一波乱おきるところに出くわして、楽しい日々が続いています。
そんな毎日の中、海辺を散歩していた時に海水を引き上げる人たちを見かけました。塩組を手伝って、塩釜を見せてもらって、お互いに酒を囲って語り合っていたらなんとなくなかよくなりました。それが僕と「逢母の天塩」との出会いでした。
「逢母の天塩」はパッケージが古いもののままで、変えたいが一からデザインするだけの能力がないと困っている状態でした。その話を聞いて、イワナギはまず一般的に売る塩のパッケージの改訂をしました。デザイナーのような仕事をすること自体そもそも初めてでした。
そのタイミングで、僕は昔の僕のようなAIRの聖地巡礼者が美浜町を訪れた時に地元の人と交わり、地元の人が作ったものを買ってほしいという思いを伝えたら「じゃあ逢母の天塩とそのアニメ作品をうまいこと切り口にして美浜町についてしってもらおう!」と話がまとまり、「AIRの聖地で取れた塩」の構想がはじまったのです。
僕の思いは過去の僕の聖地巡礼の時の「一抹の申し訳なさ」からきているものが多いです。
聖地巡礼にきたときにどこにお店があるかがわからなくて炎天下の中泣きべそ書きながら歩き回ったこと
聖地巡礼のスポットがどんな場所でどんな歴史があるのかという情報がえられなかったこと
お土産を買おうと思ったが、いまいちピンとくるものがなく(そもそも「美浜町」のお土産がほぼ皆無であった)結局何も買わずに帰った。
巡礼者でこんな人、多いと思います。その結果、巡礼者からしたら「なにもない町」、地元の人からしたら「何もせんと帰っていく気色の悪い人たち」というイメージがついてしまっていました。
過去の僕もそのうちの一人の加害者であり、被害者でもあります。
僕はそんな悲しい連鎖を止めたい。過疎化が進み、人口が減り消えゆく町、道路整備や取り壊しで聖地がだんだん原型を留めなくなっている町。
いつかは、「AIRの聖地」と誰も呼ばなくなる時がやってくるのでしょう。
だからこそ、今の悲しい連鎖を断ち切りたいのです。今年で原作20周年、アニメ15周年になるAIR。そのAIRを好きでやってくるアニメ好きの人たち、奇しくもアニメの舞台に選ばれてしまった田舎のとある町の住民。その人たちが「AIR」のことに対して否定的なイメージを持ってほしくない。逢母の天塩の鍵島3の参加はそのための第一歩だと思っています。
いつの日か、滅びの時を迎えること、それも避けようのない結末。けれど最後は、星の記憶を担う最後の子には、どうか幸せな記憶を
さて、そろそろ仮眠をします。
鍵島3に参加される方は現地でありましょう!